刑法36条1項の正当防衛は、急迫不正の侵害に対して自己または他人の権利を防衛するためやむを得ずにした行為を不罰とする。本稿では最高裁の主要判例を軸に、急迫性の総合判断・防衛意思・相当性・過剰防衛の各要件を体系的に整理し、答案構成まで一貫して解説する。
①36条の条文と基本構造、②急迫不正の侵害、③急迫性の総合判断(最決平成29年)、④自招侵害、⑤防衛意思、⑥攻撃意思との併存(最判昭和60年)、⑦相当性(最判昭和46年)、⑧過剰防衛、⑨正当防衛・過剰防衛・緊急避難の比較、⑩論証の組み立て方、の順で扱う。
1. 刑法36条の条文と基本構造
1項 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。 2項 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
36条1項は違法性阻却事由であり、正当防衛が成立すると犯罪が不成立となる。2項は防衛の程度を超えた過剰防衛を規定し、違法性は残るが責任・違法減少として刑を任意的に減免する。
2. 正当防衛の成立要件
36条1項の正当防衛が成立するには、(i)急迫不正の侵害、(ii)防衛意思(判例・通説)、(iii)防衛のためであること、(iv)やむを得ずにした行為(相当性)の4要件を充足する必要がある。
①の「不正」とは違法性のある侵害を指す。正当行為(公務員の適法な職務執行等)には正当防衛は成立しない。侵害者が責任無能力者でも行為が違法であれば「不正」に当たる。
3. 急迫不正の侵害
急迫性とは、法益の侵害が現在しているか、または間近に迫っていることをいう。侵害が終了した後の反撃は急迫性を欠き、正当防衛は成立しない。過去の侵害に対する報復も急迫性を満たさない。
不正とは、侵害が違法であることを意味する。侵害者が責任無能力者(刑事未成年・心神喪失者)であっても、行為自体が違法であれば「不正の侵害」に当たり、正当防衛が成立しうる。
4. 急迫性の総合判断(最決平成29年4月26日)
最決平成29年4月26日刑集71巻4号275頁は、急迫性の有無は、行為者と相手方との従前の関係、予期された侵害の内容、侵害に対する事前準備の状況、侵害回避の容易性、侵害場所への出向行為の有無およびその目的、行為者と相手方との接触状況、侵害発生時の行為者の認識その他の状況を総合考慮して判断すべき旨を判示した。
侵害を予期していたという一事から直ちに急迫性が否定されるわけではなく、「予期+積極的加害意思+侵害場所への出向行為」が揃う場面で急迫性が否定される方向に傾く。
最決平成29年以前の旧規範は「積極的加害意思があれば急迫性が否定される」という一元的基準を採っていたが、同決定によって諸事情の総合考慮型に転換された。答案では総合考慮の枠組みを明示した上で各要素を当てはめる。
5. 自招侵害と急迫性
自招侵害とは、行為者自身が先行する挑発的行為によって相手方の侵害を招いた場合をいう。最決平成20年5月20日は、挑発により招いた侵害について正当防衛の成否を詳細に検討する枠組みを示した。
最決平成29年の総合考慮型のもとでは、自招侵害の状況も急迫性否定方向の要素として評価されるが、一律に急迫性を否定するのではなく、挑発行為の程度・相手方の反応の予測可能性等を踏まえて個別に判断される。
6. 防衛意思
判例・通説は、正当防衛の成立には防衛の意思が必要との立場(防衛意思必要説)を採る。防衛意思とは、侵害を認識しつつ防衛のために反撃する意思をいい、恐怖・狼狽を含む広義の概念である。
防衛意思は主観的正当化要素であり、客観的に正当防衛状況が存在しても、主観的に防衛の意思が欠ける場合は正当防衛が成立しない(防衛意思不要説を採ると結論が異なりうる)。
7. 攻撃意思との併存(最判昭和60年9月12日)
最判昭和60年9月12日刑集39巻6号263頁は、防衛の意思と攻撃の意思が併存している場合でも、防衛の意思が認められる限り正当防衛の成立は妨げられないとした。もっぱら攻撃の意思によって反撃に出たといえる場合に限り、防衛意思が否定される。
怒りや興奮を伴う反撃であっても、客観的に防衛行為として把握しうる限り防衛意思は当然には否定されない。「もっぱら攻撃意思に置き換わった」かどうかを、事案の具体的経緯から評価することになる。
喧嘩闘争や相互的な殴り合いの場面では、どの時点で攻撃意思が防衛意思を凌駕したかを時系列で分析することが答案上の鍵となる。
8. 防衛行為の相当性(最判昭和46年11月16日)
最判昭和46年11月16日刑集25巻8号996頁は、「やむを得ずにした行為」とは、急迫不正の侵害に対する反撃行為として防衛のために必要かつ相当性を有するものをいうとした。武器対等の原則は考慮要素のひとつにとどまり、当事者の体格・人数・場所・侵害の態様等を総合して相当性を判断する。
相当性の判断において、法益均衡は厳密には要求されないが、侵害された法益と防衛行為によって侵害した法益との間に著しい不均衡があれば、相当性が否定される方向の事情となる。
「素手に対してナイフ」のような場合も、体格差・複数人か単独か・侵害の激しさ等を総合評価する。素手に対してナイフが一律に不相当となるわけではない。
9. 過剰防衛(36条2項)
防衛行為が相当性の限度を超えた場合、36条2項の過剰防衛となり、情状により刑を任意的に減免される(責任減少説・違法性減少説がある)。
一連の防衛行為のうち、侵害が終了した後の追撃部分は正当防衛の射程外となり、過剰防衛として処理される傾向にある。事案によっては反撃行為を時系列で区切り、正当防衛部分と過剰防衛部分を分けて評価することになる。
10. 正当防衛・過剰防衛・緊急避難の比較
11. 論証の組み立て方
刑法36条の論証
問題の所在
本件で問題となるのは、Xの反撃行為が刑法36条1項の正当防衛として違法性が阻却されるかである。
要件の特定
36条1項の正当防衛は、(i)急迫不正の侵害、(ii)防衛意思(判例)、(iii)防衛のためであること、(iv)やむを得ずにした行為(相当性)を要件とする。
判例規範
急迫性:最決平成29年4月26日は従前の関係・予期された侵害・事前準備・侵害回避容易性・出向行為等を総合考慮すべき旨を示す。防衛意思:最判昭和60年9月12日は、もっぱら攻撃意思に置き換わったといえる場合に限り否定されると示す。相当性:最判昭和46年11月16日は防衛のために必要かつ相当性を有することを基準とする。
当てはめ
本件では、〇〇という事情から総合考慮すれば急迫性が肯定される。防衛意思も認められ、反撃行為は〇〇の観点から相当の範囲内にある(または相当性を超えている)。
結論
以上から、Xの行為は36条1項の正当防衛として違法性が阻却される(または36条2項の過剰防衛として刑が任意的に減免される)。
答案では「急迫性→防衛意思→相当性」の順に検討するのが一般的。急迫性が否定されれば以下の要件を検討する必要がないため、急迫性の論述に最も力を入れるべき場面が多い。
12. よくある誤解
よくある質問
Q. 侵害を予期していれば急迫性は否定されるか
A.予期の一事から直ちに否定されるわけではない。
最決平成29年4月26日の総合考慮型のもとでは、予期に加えて積極的加害意思・出向行為等が揃うような場面で急迫性が否定される方向に傾く。
Q. 防衛意思と攻撃意思が併存する場合はどうなるか
A.最判昭和60年9月12日は、両者が併存しても防衛の意思が認められる限り正当防衛は成立するとした。
もっぱら攻撃意思に置き換わったといえる場合に限り防衛意思が否定される。
Q. 相当性は武器対等で判断するのか
A.武器対等は考慮要素のひとつにすぎない。
最判昭和46年11月16日は、当事者の体格・人数・場所・侵害の態様等を総合して相当性を判断するとした。素手に対してナイフが一律に不相当となるわけではない。
Q. 侵害後の追撃は正当防衛になるか
A.侵害が終了した後の追撃は急迫性を欠くか、過剰防衛として正当防衛の成立が否定される。
一連の行為の中で侵害終了前後を区切って評価することが重要。
緊急避難(37条)との比較については 刑法37条 緊急避難、傷害・殺人に及んだ場合の罪責については 刑法199条 殺人罪 と合わせて読むと、違法性阻却事由の体系を一通り把握できる。 不法侵入者に対する防衛行為が問われる答案では 刑法130条 住居侵入罪 の成立要件も先に確定させる必要がある。